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昌平黌 昌平坂学問所 湯島聖堂

昌平黌 昌平坂学問所 湯島聖堂

色々な呼び方がありますが、
正式には「学問所 」幕府の学問所でした。
チョット幻の場所だったんです。

湯島天神は、捜せたのに、、、湯島聖堂は何故か探せないまま。
神田で迷って、神田方面が苦手でした。
この前ご紹介した神田明神の鳥居までおりたら、
目の前に、美しい屋根が見えました。

   湯島聖堂   湯島聖堂 大成殿 甍

青く澄んだ色をして、屋根の守り神も素晴らしく優雅で、、
一体、何だろうか?
塀は、立派で中に瓦を重ねてあり、格調が高いのです。
江戸時代の練壁がそのまま残ってる広い敷地。
朝早くて、澄んだ空気の中で、呼吸を始めてない建物の屋根でした。
お寺やお宮にしては、人の気配を感じない。
不思議な空間。

   練壁 築地塀 練壁 

お散歩の銀髪の紳士に、伺うと、「「昌平黌」だよ。」目が真ん丸。
「幕府の学問所」と聞き返すと、(胸が熱くなったのが、見えちゃった。)
(#^.^#)。「入れるよ。」門を教えてくださいました。
行くと、あまりに早すぎて、開いてませんでした。
どきどき、、ずっと。

こんなに大きな場所だったのかと、当たり前か、幕府の頭脳をになったんだものね。
覗ける場所は聖橋。
あこがれの様に長い塀と、中門を、眺めて戻りました。
この道を武士階層のエリートが登って来たのでしょう。
誰にも負けない秘めた力を研ぎ澄ますように、、

江戸時代、平和な時代を夢み、その思想的な基を儒学に置いていたその場所。
何故?無くなったのか?そして今は?
東大に移ったと言うけれど、漢籍はとだえたように盛んでは無い。
その場所を、澄み切った空気の中で眺めてました。

それで、それからずっと、もう一度、お散歩したいと思ってたのでした。
秋葉原からの路を何度も地図で眺めて、繋がってるのを確かめて、
バーガーキングを秋葉にしたのはそういう理由です。

   昌平坂 湯島聖堂 史跡 湯島聖堂 湯島聖堂正門 学問所 正門

聖橋から眺めていた長い坂はゆるくて、あっという間に正門まで行けました。
中は、外の喧騒を忘れる静けさで、お寺や、御宮とはまた違う空気。
石碑は見事な文字で、読むのに愉しくなるような立派なものが残ってました。
石碑を読んだ右側には、孔子の大きな像が、雨晒しに立ってました。
傍の金色の文字を読むと、台北ライオンズクラブからの贈り物だそうでした。
調べると、昭和50年に、世界最大だそうです。

    孔子 銅像碑文 孔子像碑文 湯島 孔子像 孔子像 台湾より

昌平とは、孔子が生まれた村の名前だそうです。
昌平黌、昌平の学び舎と言う意味ですね。
家康より林羅山が拝領し、林大學頭が奉った上野忍ケ丘の私塾内の孔子廟を、
将軍綱吉が移築し、自ら「大成殿」の額字を書きました。
尾藤二洲・古賀精里などを、教授として招聘しました。
幕府直轄の学問所として、建物のみならず、規律もつくり、
直参のみならず藩士・郷士・浪人の聴講入門も許可しました。
心ある学びたい者が学べたのですね。

    昌平黌 大成殿 大成殿 孔子廟

規模は、隣の医科歯科大学の敷地も全部で一万六千坪。
江戸の町は、学びの場所だった。
明大あたりの古本屋街の発達も、ここからの流れだった、
参勤交代で全国の武士が集い、男性ばかりの首都だった江戸。
下町の文化は伝える活動があるけれども、このことを書かれたものが目に留まりません。

維新でどうなったか?
明治4年昌平黌は閉鎖されます。
漢籍の流れは止まります。

    偕の木 黄色に色づく偕の木 (孔子廟に植える学問の聖木)

天文方は、開成所に、種痘所は医学所として東大に吸収されます。本郷通りの向こうは東大です。
広大な学舎後には以下のような機関が同居しました。

文部省、
国立博物館(東京国立博物館。国立科学博物館)、
東京師範学校(筑波大学)
附属学校(筑波大学附属小学校、筑波大学附属中学校・高等学校)
東京女子師範学校(お茶の水女子大学)
附属学校(お茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校)

漢籍はその後の学問の基にはなりえませんでした。
何故?

維新の思想 皇道、前の幕府の思想、儒学の争いがありました。
儒学・漢学中心の学びから、
皇学(国学・神道)を上位に置くことになりました。
戦争に負けたのです。

旧皇学所出身の国学教官と昌平黌以来の儒学派との対立しました。
特に昌平学校が、大学校の中心になろうとすると、
儒学派・国学派の主導権争いは激化し、昌平学校は明治3年7月12日(1870年8月8日)当分休校
そのまま廃止ました。

前の為政者の社稷を崩す中国史に習うように、文化を粉々にして新しい政府ができました。
漢籍は、子供の脳の発達に素晴らしい効果があるそうです。
日本人が優秀で、鎖国してたのにもかかわらず沢山の発明、学術研究が世界に負けずにあったのは
この基本があったからだろうと言われます。
返す返すもおしい学問が衰退しました。学問が衰退したのでなく、学問に触れられなくなったのです。

「孔子の思想の根源は崇高な徳、仁です。
それが無ければ革命思想だけ先行させても国が乱れます。
仁を失った戦いで得た政府政権は腐ります。
腐っても続きます。
そして、革命によってつくられた政府はまた、革命によって滅びます。」
これはかつて私が書いたものです。

   昌平坂学問所 葵の御紋 昌平坂学問所 葵の御紋 一つ見つけました。

史跡湯島聖堂は、壊された社稷の様にありました。
大成殿は、中の見学には200円、いま、その浄財は、この場所の運営費に充てられてるようでした。
国家が国を繁栄させるための学問所は、いま、彼らが守ってました。
気持が塞ぎました。

所が、、
なんと、そこでは、今、文化講座が開らかれてました。
通信講座もありました。
伝習録の講読、論語の素読、孫子、孟子、杜甫、、
そして、子供論語塾もありました。

斯文会 受講案内 斯文会 受講案内

学ぶ心は時代を超えて、ちゃんと、いきづいてました。
大成殿に、深く頭を下げて帰路につきました。
それは、孔子像は象徴。そこを守ってる人々に対してでした。

孔子の思想の根源は崇高な徳、仁です.徳を求めた先人に敬意です。そして。今も。

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コメント

[C3184]

hippoponさん おはようございます。

徳、仁無き、政の行く先や如何に・・・・・

蝦夷地の熊さんも憂いております・・・。
  • 2014-11-26 07:23
  • ひげ
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  • 編集

[C3185] ひげさん

こんにちは。

徳なき、、まさに、
蝦夷地は、北の王国、建国しますか?

先ず、夫婦の絆、そして、家族の絆、地域の、、
地縁、血縁を取り戻し。
友を想える子供を育てましょう。
👶に、十分な愛情をそそぎ、その地域の発展に心砕く
100年後、美しい人の花が咲いてるように
今を喜びに満ちて生きてゆきましょう。

仁、それは人が二人になり出来る惻隠の情。
人を想う心。
自分ばかりをおもって、
人をきづつける人は必ず行きばがなくなった社会を
もう一度作りましょう。
それが無言の抵抗。

道徳が無いことを人は一番軽蔑した。
そう言う国だった。
昌平黌はそういう場所だった。
  • 2014-11-26 12:00
  • hippopon
  • URL
  • 編集

[C3186]

たこ焼き好きですね( ^_^)ゞ
ハンバーガーもラーメンも
基本的にいけない物ばかり(笑)
  • 2014-11-26 12:29
  • ひろりん
  • URL
  • 編集

[C3187] こんにちは(^-^)

屋根のシャチホコ、確か龍の頭で珍しいものだったような・・・。
普通のシャチホコは虎の頭、何かの本に載っていた記憶があるけど、
何で龍頭なのか・・・忘れました(^^ゞ

[C3188] ひろりんさん

こんばんは

いい女程慢心があるから、怖いのでしゅ。(^o^)
少し太っても、少し手入れをしなくてがさついても、
美しいから、7難も8難もかくしてしまう。

30後半からあれ???となり、、
もう、、知らないから、、

🐙焼きは、粉もので、どうやらお腹がぽこんとなるような、
太り方をすると言う説もあり、、
眉唾ながら、、怪しんでるところです。

昔綺麗程危ないと言う私のリサーチ結果です、、
もう、ニコニコしちゃって、余裕でかまえて、、
いいな、、(*^_^*)

がんばるもん。('_')

  • 2014-11-26 17:04
  • hippopon
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  • 編集

[C3189] coconut punch さん

こんばんは。

日光東照宮の屋根に居るようなやつだったの。
私も調べようと思ってたのですが、、
今日はちょっとパスして、
近日中に、かきますね。
なんか、ひきつけられちゃうのです。

調べるわね、、答えあるかしら??まっててね。(^_-)-☆

ノートルダム寺院に居たような顔でもあって、
ほんとうにこういうのがいたんだろうと思えるほど、、
これは面白いとおもいました。
  • 2014-11-26 17:09
  • hippopon
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[C3190]

今と違って、本当に学びたい人が来ていたんでしょうね。
そして、国のことなどを考えて・・・。
今とは、大違いです。
  • 2014-11-26 20:38
  • ジュリアルーシュ
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[C3191] ジュリアルーシュさん

学びは誇りであったろうし、

江戸の人は、いまでも直参の優秀な人が負けたから、、
後から来たやつは盗人だといいます。
100年たってるのに、
占領政策、その後の行状、嫌われてしまったんですね。
そして、味付けは塩から、薩長の甘辛になったのに(商売相手)
嫌いなんだと、
根深いものを感じます。

文語が失われることは日本の損失だと思うのですが、、
そのまま、今度は外国との戦争に負けて、、
今や日本語すらおかしい若者がいる。

戦争は負けてはならないものだとつくづく、おもいました。
文化を否定して、紳士、賢人をないがしろにして、愚民ばかりにすれば扱いやすいですものね。

扇動されやすい、
ブームに乗りやすい人々は確かに恥ずかしくもいるし、
情けないどころか、破廉恥な国政もあったと思います。

悔しい事です。
  • 2014-11-26 20:50
  • hippopon
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