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六弁の梅

梅の花は五弁。

そうお思いになってませんか?六弁の梅


実は6弁の梅と言うものがあります。
読み方は六弁(ろくぶ)の梅。


今から400年前に滅ぼされた一族の名残です。
城は囲まれて、落ちるばかりの時に、名残の宴で、冥途でしか会えない親族、夫に琴を奏した。
その音が聞こえたとか。
琴はピアノの弦とは違って遠くまで果たして響くものか?と思いつつ、地元の方のお話を伺ったりいたしました。

滅ぼされたお城は当時、農園になってあり、そこには、滅ぼされた人々を慰めるための石碑が立ってました。
幽霊が出るので、碑をたてたところ、でなくなったと、おっしゃってました。
「貴女は怖くなくよくきたわね~」と、にこにことして女主人がいつもおむかえてくださったことが昨日のように思い浮かびます。
不思議なことに、「いらっしゃってると言うので、もうそろそろおいでになるかと、、」とおっしゃって、
広い農園で誰もいないようなところでどうして?ご存じなのかしら?と不思議にに思ったものでした。
祖母のあたりで従姉妹か何かになってる血縁と何度話されても子供でしたのでわかりませんでした。

城を囲むようなお墓の道をゆかないとお城にはいけませんでした。
夏の木立が涼やかでしたが、陽炎のなかに、向こうからの強いエネルギーを感じます。
ア~、何を言いたいんだろう、向こうからのエネルギ~。

お墓の方から吹いてくる風はそれを打ち消すように穏やか、きっと亡くなった我らの先祖が守ってくれる。
そう思うと安心でひるまない、けれども、何かが潜んでるような、自分だけに感じるような、、
そういう話は誰も信じないし、言わないことにしてきた。感じるのです。

後年知ったところによると、騙されて開城。
打ち込んだ兵によって女子供に至るまで総なで斬りの惨事。
滅ぼした側は、今もって畑を耕すと骨が出てくると言うその上に城を建て、名前を変えて、また統治いたします。

営々と江戸時代が過ぎ、戊辰戦争、そして明治からも遠くなり、滅ぼされた人々の名残はなくなる?
、、いえいえ、不思議なことに。
元の城主の遺愛の梅を、大事に思う人々があり、残ってきました。

姫が逃げる時に囲まれて自害、あまりの痛ましさにそこに梅を植えた。
侍女を含めて6名の女性たちの様に6弁の花だったとか。
言い伝えはいろいろあるようです。

そのことを知って、なんと優しいとおもいました。

滅びゆくものに栄光をと言う気持ち。

楠木正成は、敗者を葬るのに「寄手塚」、自軍の死者には「見方塚」を作りました。
しかも、石碑の大きさは、敗者の方が高いのです。
敗者を手厚く葬る気持ち。
野ざらしにしない心がけ。
それを知って、感動したのと同じ気持ちです。

命をやり取りした、勇者に対する敬意です。

九戸城、白鳥城、福岡城。
そのそばに住まう人々が、懐かしむように梅の話をしてくださいました。
400年もたってるのに、

残ったものは、人を大事にする心、人の生き様をいとおしむ心。
今生きてる人の暮らしをと言う心。
それを伝えてきたのでした。

そこにも紅顔の御美少年がおりましたっけ、そのお話は、また。

コメント

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[C1657] 1655さん

楠木正成は、敗者を葬るのに「寄手塚」、自軍の死者には「見方塚」を作りました。
しかも、石碑の大きさは、敗者の方が高いのです。
敗者を手厚く葬る気持ち。

戊申戦争では、葬ることをさせない事をしました。
この前は彰義隊の塚に行きました。
徳川家達の碑文を読みながら、唇が震えました。

宜しければ、清水次郎長の事も知ってやってください。
  • 2014-08-27 12:03
  • hippopon
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[C1658] 1656san

自分でもよくもまあ書いたものだと。
初心わするべからずですね。

私でないみたい、

お便り楽しみです。>^_^<
  • 2014-08-27 12:09
  • hippopon
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