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御殿場行  NO4 東山旧岸邸 

御殿場行  NO4 
東山旧岸邸 




近代数寄屋
1969年に元首相の岸信介が自邸として 数寄屋造りでは有名な吉田五十八に依頼して建てました。
岸が73歳ごろ吉田も71歳の頃。名声も地位もある二人が善き選びで作った建物です。
少し前の有名旅館や お大尽はこういうのを作りましたね。



          五十八吉田

           太田信義(太田胃散の創業者)の5男8子として産まれる。
           そして信義58歳の子供だったので五十八(いそや)と命名された。
           芸大出身の近代数寄屋造りの建築の第一人者である。1894年生まれ。
   


鵠沼別荘のプール付きの鉄筋の家でも中にはコンクリート打ちっぱなしの茶室などがあって
子供心にこういうのが家なんだろうと拝見いたしました。
アールヌーボーからの引き算でアールデコが確立した様に数寄屋造りはいらない装飾を取っ払って機能的です。
木造軸組構法 いろいろな木を使いますが簡素にすっきり見えます。
また、知り合いの鎌倉山の木がかかった豪壮な家にも似てます。ゆったりと 茶も楽しみ、景色を眺めてくらす。
窓はずっと開かれて テラスも庭も立派で大きな石が入ってる。
最期に拝見したてっぺんからの 秋深まる鎌倉山の風景は 忘れられません。(取り壊されました)
物を考えるにふさわしい空間なのかもしれません。



          東山岸邸 エントランス

          東山旧岸邸 車寄せ
          齢約400年のツバキ「太郎冠者」 生まれたは 文禄・慶長の役の頃?
          「太郎冠者」は  狂言においては主に仕える召使いの筆頭



   
自由な気風と 経済の高度成長期、木のぬくもりを残しながらの機能美。
政治家、研究者、哲学者などに向いてるのかもしれない。
何処かで出会ってる空間、木材の質などほっとしました。

書斎の机は案外簡素でした。そして見たことがある。引き出しでした。特徴的だもの。
多分同じものをどこかで、あ、、知ってるこの空間、という感じ。
もしかすると鵠沼かもしれないし、他かもしれなかった。
幼いころの記憶をよみがえらせても思い出せませんでした。



           東山岸邸 路地

           象徴的な 岸邸の露地行灯 ここから別の世界に入る
           煩悩妄想を離れた清浄無垢な場所へのいざない。

岸は此処で隠居後も世界からの要人をもてなし、また必要があれば東京へも出て行ったようです。
亡くなるまでの17年をここですごされたようでした。
広い庭、今虎屋工房があるところは従業員寮かもしれませんね。
図面を拝見すると必要なものが必要なだけ配置されてるようでした。
ホテルの特別棟のようで、これで衣装やら什器が入り切れるんだろうか??と思ったり致しました。
茶室もあり、道具は四季にご入用でしたでしょうし、
私程度の物でも収納にいつも頭を巡らせて、これでは整理だけで生涯が終わると情けない気分なのに。
邸宅を拝見して、彼は物を持たない人だったのかしらと思ったり致しました。

有力者は絵画や骨董に埋もれて、自分が集めなくてもどこからかやってくる。
倉の管理なんかさせられたら 一生それで終わる。あまり大きな家には嫁には行きたくない。
家にいる人は堅固でないと 気を抜いたら平気で まず最初は、鉛筆一本から、そのうち盗み飲み、酒蔵からケースがなくなり
大胆になって、絵画がなくなったりする。
人を使うということは凄く大変。
口ばかり上手くて おべっかで、盗みをするような使用人にも目を配るほんと嫌だもの、
その上それだけで  数百年の中に自分の人生が埋没するような、社交はある。地雷は踏めない。
私は有力機能搭載かもしれないけど 私自身は 自分がなくなる。などと。
家主に言わせると、自分を活かしきれなかったのは、祖先に申し訳なかったろうぐらいいわれるけど、、。
絶対に嫌。
余り有名なお金持ちの邸宅は泥棒に入られる、そんな怖い目にも合いたくない。
誰もが名前を知ってる企業オーナーの古い家だと戸締りが何重もで、
お嫁に行って ずっとそればかり覚えてたという人も知ってた。



          岸邸茶室
      
          茶室 水屋 少し長さが足りず簡素
          彼は表千家だった 




後から図面を拝見してもこのスペースだけだったんだろうか?と不思議。
きっとどこかにすっかり整理されていたんでしょう。
ダンディズムか、、と、風を取り入れ、四季をそのままリビングへ取り入れたお宅でもの想いでした。
茶室の作りからすると、明らかに彼は此処でその後も活躍してた。
警備がつくような人と会ってたはずの作り。
官邸で在っても住む以上は 物があふれそうなのに、、
ここは 彼が厳然と力をふるえる人だった証の空間か、、と。

家族の集う場所とはおもえなかた。
では、なぜ?夏は涼しくていいけど、冬はしばれる様な場所に住んだのだろう?
富士があることはそれは魅力だけど。


満州国
岸は「弐キ参スケ」の一人満州国の覇権を握ってた。
そのうち鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟といい、全員が長州の出身で姻戚で結ばれている。
5名共に 東京裁判ではA級戦犯。
満州三角同盟のうち  鮎川と岸は不起訴。松岡は病死。
鮎川は大叔父が井上馨 日産日産コンツェルンを作った。日立グループもこのながれである。

残りの東条は死刑。東条は南部藩能楽師の子孫。
星野は終身刑だったが釈放。星野はキリスト教伝道者の子。

もしも戦後処理がアメリカですでに決められてたとしたら、随分面白い構図だろう。
田布施という場所についてまでも陰謀論がある。
(維新の二つの藩に田布施がありそこから総理が出てる) 考えたこともなかった。


東京プリズンから出所
今では 東京裁判の時に取引して岸にはCIAから活動資金が出てた記述は沢山拾える。
A級戦犯から首相までの道のりが早すぎる。
などなど あからさまになっている。
学生がいくら騒ごうが、安保は締結されるべきことだった。
それは日本が負けて隷属国になったからであり、ペリーがやってきたときの目的が達せられたことであり
彼は、植民地日本御提督に選ばれていた。ともいう。そして弟へ委譲。
まあ スピッツみたいに噛みつくだけ、きゃんきゃんなくだけの何でも反対勢力が 大喜びしそうなシナリオ。
孫ポチはお手をし,伏せ(布施)をする。
本当だろうか?


          岸信介 巣鴨

          巣鴨プリズンにて 


国家が亡びようとするとき東条は一身に背負って死んだ。それは列藩同盟の家老が切腹して果てた行動のように。
またもや 長州の連中は東条にすべてを押し付けて、利権をむさぼったか?
明治から決められてたように、日本を二つに分けて革命(維新)を成功させ、軍事国家を作り上げて君臨し
戦後はその功績で 残りの人生を世俗の欲だけ ほしいままにしたか?
それは今後もまた、国を二つに分けたい陰謀家が考えそうな構図。



東京裁判の時
東京裁判の戦犯になったとき、岸はすでに命を賭した

彼は「名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ」と裁判で堂々と主張するつもりで、

「われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対しては責任はない。
しかし勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。」
「侵略戦争というものもいるだろうけれど
われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方を はっきり後世に残しておく必要がある」
として臨んだそうだった。

「今次戦争の起こらざるを得なかった理由、換言すれば 此の戦は飽く迄吾等の生存の戦であって、
侵略を目的とする一部の者の恣意から起こったものではなくして、
日本としては誠に止むを得なかったものであることを千載迄闡明することが、開戦当初の閣僚の責任である」

「終戦後各方面に起こりつつある戦争を起こした事が怪しからぬ事であるとの考へ方に対して、
飽く迄聖戦の意義を明確ならしめねばならぬと信じた」

この様な世界に向けて、はっきりと対峙する姿勢を露にしてる。それは死を賭さなければ言えない事だろう。
また、東条もしかりであった。



          東山岸邸 リビング

          岸邸リビング 
          誰と なにが話されたのか?



豚は超えさせて食う
日本を再び追い詰めて破綻させる陰謀はあるのだろうか?
日本の高度成長、それは経済人だけの力ではない 政治、外交の手腕がなくてはそうはならない。
高度成長のうまい汁 郵貯や銀行の貨幣 その他金融財産などなど。海外不動産や、会社も含めて、かすめ取られるのだろうか?
戦後70年、僕ら戦争を知らない子供たちが爺になり、戦争を教えないで 全く無防備で無知で無関心で、無能な子孫を残した。
平和は無防備な事ではない。
平和と表裏一体にある戦争。
それに目をつぶることが正義のような ヒステリックな婆さんのお題目のような。それでは国は亡ぶ、病的だ。

戦後の日本人の働きや 資産は、子孫に残らず 他国民を潤すのか?
祖父母が作り上げた美しい街並みに唾はく 外国人が闊歩してる。
一生かかって 家一軒残した世代。戦争を知らない爺。
ローン返済後の家。その家は人口が減って 価値がなく、転売されて多国籍人がうんと安く 住む。
地上の星がたゆまず作り上げた国の利便さは 多国籍人が利用する。
見えてるものは、民族の粛清と 経済戦争だ。
若者は手間仕事で、恋するどころか、子供を育てられない。そういう国家。
私にだって見える。
はたして、岸は何を日本の将来に託したのだろうか?
彼は、いくつもの楔を 御殿場で打ち続けたのだろうか?

彼の獄中の言葉にこういうのがあった
「日本をこんなに混乱に追いやった責任者の一人として、
やはりもう一度政治家として日本の政治を立て直し、
残りの生涯をかけてもどれくらいのことができるかわからないけれど、せ
めてこれならと見極めがつくようなことをやるのは務めではないか」





70歳を超えてからの住居
お金持ちの家は知ってる、成り上がりも、そうでない家も、金満家の家も、でも 一山持っている家のたたずまいも。
ここは、余りにも利便的で、余計なものがなくて、四季を愛でて 常に思索している人の住まい方なのだ。
警護はあったろうけど、どこからでも攻め込めそうで、しかも邸内には広い庭があからさまで侵入は無理だろう。
国会議事堂でデモ隊に囲まれた経験がある男の胆力?
既に命はいらない人だったのか?
まるで 手入れの行き届いた庭園に軍艦が停泊してるみたいな。不思議さ。極上の参謀本部か。



         東山岸邸 庭

         岸邸よりながむる



河豚計画
彼は満州では総務大臣 今でも利権で各国が狙う満州の利権を手にしえた。
もちろん、世界陰謀論??のユダヤ人とも接触はある。満州の河豚計画。
当時ハルピンには 亡命のユダヤ財閥が逃げてきてた。
簡単にいうと、ヨーロッパで行き場がなくなったユダヤ人を満州建国に参画させるという計画で鮎川が推進した。
海軍大佐犬塚惟重は
「ユダヤ人の受け入れは日本にとって非常に有益だが、一歩間違えば破滅の引き金ともなりうる」
「これは河豚を料理するようなものだ」

日露戦争の戦費の約4割を、日本政府へ協力したユダヤ人銀行家 ジェイコブシフの名前などが開発にはあげられていた。
命は日本が出して、お金はユダヤが出したとも。
フランス革命、ロシア革命、、、チャンとお金の流れを突き止めないで 戦争は語れない。
時の戦争の大将がどうだってことは 駒に過ぎない。小さなっ事象なのだ。
未だそれを 追ってることでは、時間がもったいない。世界がうねって 同じことがまた起きる、
私の手には負えない調査を出来る学者がそんなことばかりに地道を挙げてる。
世相を作る役目の評論家は見せないようにTVで煽る。
茶番やゴシップばかりの低いニュースと国家的なニュースが同じ御身さで垂れ流されてゆく。

果たして戦後、竹のカーテンの向こう  豊かな土地 利権が詰まってる満州で 何があったのだろう?手前は北だ。
世界は陰謀に満ち満ちて 何者か? 国家の枠を超えた所で支配を考えてるのだろうか?
日本を利用し、搾取しようとするものはなかったか?



          岸信介 暗殺未遂

          安保の時、暗殺未遂に遭遇 1960年7月14日


安保でデモした若人は爺さんになり、安田講堂事件に象徴された暴力を容認する騒乱もあったが これも爺いになった。
爺どもは今も感情に任せて煽られて 今も気炎を上げてる。
また利用されたくてたまらないのだろうか?することないし、はけ口もないのか?
世の中には洗脳されたい、自分で考えない人々が満ち満ちてみんながTVの前にいる。

垂れ流しの情報を裏付けしないで うのみにして、表現まで同じで あまりの低さにげんなりだが、、金魚のフンは長い。
努力もしないで自分が抱いた野望には遠く、フラストレーションを政治にぶつけてる病理だ。げんなりだ。
ことが起これば能力のない僕は浮かび上がれるとか思うナルシストは若者だけでない。爺が今だ罹患してる。
悪いのは僕じゃない社会だっていう いい年のおっさん、今どきの青年精神病理でも もう少しまともよ。
一方では カッコイイ?と、 マルクスを読み、ジーンズをはき、ジンジャエールを飲み、ガールハントにいそしんで、、終了なの???
自己肯定ばかりで 現実把握がまことに乏しい。その時代に至る歴史を考えたろうか?
貴方は無駄吠えする以外に何が出来たの?ただ薄らぎたない 濡れ手に粟を願ってるだけだろう。賛美されたい?。馬鹿馬鹿しい・


          東山旧岸邸 リビング     陽光を感じて 思索する


内容のある暮らしは静かで ゆっくり進むし、内に力をためる。
そして、実質的な自分の能力いっぱい頑張れた人は、滾るようなプライドがある。
それはひけらかさない、大衆に理解されなくても 歴史が理解する。それが矜持というものだ。落ち着いたものである。

砂粒ほどの人生がどのような役目に使われたか?知りたくないのだろうか?
内容のない批判をするが、裸の自分を批評するだけの勇気は全くない。声は大きいが ひしゃげた自分を鏡で見てほしい。
目の前の家族にすら呆れられてるものが 大衆?の支持を受けれない。なぜ?そんなことが必要なのだろうか?
今まで認められなかった裏返しであってコンプレックスなのだ。

むしろ、何を残せたか?その難問を明らかにすることの方が 先決であり、今を知れるのではないだろうか?
他国のスパイの プロパガンダに はまる青年もそうだ、、やるべきことがないから
目の前のよさそうな仮想世界 ゲーム(清濁の陰謀論)にはまる。






五族協和プラス



           南満州鉄道 パシナ
            満州鉄道 パシナ型  ユーラシアを疾走す夢の汽車
            技術は新幹線へと受け継がれました。



ロマンスカー 富士号は、満鉄の色?連邦軍の色?高鳴る胸で御殿場へきた。新幹線の元になった技術力。
大陸を走るはずだった。
日本の叡智の その満鉄の調査部。研究は今も残ってる。人類の財産だ、
満州国の真の目的は何だったのか?
他国への帝国主義?まあ、まあ。
少なくとも五族協和の精神で建国が為されようとしてた、
五族とは 日・満・漢・朝・蒙
その五民族が協調して暮らせる国が希望だった。

そして プラス河豚計画 先端を行くグローバリズムの実現?いやはや、、驚きですね。
イスラエル建国が満州に実現だったら?その後の東アジア情勢は より かなり困難な事だったろう。
日本が 調査し、建国し 甘い汁は誰か違う支配者が 支配する計画があってもおかしくはない。



          満州国旗

          五族協和 (満州国) 国旗  日・満・漢・朝・蒙(黄、紅、青、白、黒)





その後の日中
1969年
1969年 彼が御殿場住まいを始めたその年に
今の「新しい憲法をつくる国民会議」をつくり自主憲法論に関し積極的な発言をすすめた。
フグの毒にあてられて、生き残った岸は河豚に免疫ができたろうか?河豚をくえたのだろうか?
私には手に余り過ぎて、到底迫れません。


2016年
あ、2年前12月お孫ちゃんとプーチンさんはフグ刺し食べたんだわ。
わざわざ下関で。
あ~~~~~(◎_◎;) 
食えない岸の そのお孫ちゃまは 
ソビエトからロシアになった国の首相とフグを食ったのであった。



1972年
かの人は 70歳にして、
この風景を愛でて、静謐な環境の中で 国を考えてたことは確かそうだった。
いや、男の最期は朽ちず 仕上げだったのだろうか?

そののち3年 角栄による 日中国交正常化。
1972年9月日中共同声明を発表 周恩来との締結。 角は毛沢東にあってる。

角栄の失脚後 
「水を飲むときは、井戸を掘った人の恩を忘れてはならない」
周恩来首相は、日中関係について共産党の後進たちに繰り返し話したそうだ。



2018年


          

   
       日中平和友好条約締結40周年記念レセプション 2018年5月10日

晩年
岸は現実的な国家の執務を離れて 国を想ったのだろうか?そして実践したのか?
開戦、満州国 東京裁判 安保 国交回復 日本が日本であるために。彼は自分の能力を活かしぬいたのか!
彼岸で彼を待ち受けてた魂らは箙をたたいて待ち受けてたろうか?
国家と藩閥をこえた満州の夢は脳裏になかったろうか?
戦後の占領軍から与えられた憲法、法治国家日本の根幹は若いアメリカの学者が作った。無念か。

東山邸での 中東の要人と笑顔で接する彼の写真があったりした。
「金に汚い岸」とまで言われたし、彼自身「政治は金だ」という発言もあった。
彼が生きたことによって、国体は護持されたか??

今静謐な環境は我等 庶民が散策し 美味しいまずい、どうでもいいような話で憩う。
役目を終えた東山別荘は安堵して竹林はさらさらと気持ちがいい。
もっと長生きして もっとよく世界を見えるようになって また再び あの空間に身を潜めてみたい。
その時 この国の意志は 日本人のものであろうか?


           岸信介

            岸信介 1987年(昭和62年)8月7日没 - 同日 大勲位菊花大綬章 

1979年 岸は日本最初の国連平和賞を受賞し 
いまは、故郷田布施と富士の見える御殿場の富士霊園に分骨されて眠っている。
岸の墓の隣には本田宗一郎の墓があるそうだ。
尚富士霊園には 満鉄関係者の墓も多いそうである。何故?
富士はそんなに魅了される場所だったのだろうか?


歴史は正史だけを見ていても、のちの権力者の思惑しか見えてこない。
社稷は壊されて改竄された都合のいい英雄詩が生まれる
満州国に 理想国家を求めた若き日の岸、 東京プリズンから一人蘇った岸。
彼の矜持は?
彼は引退後の御殿場で どんな夢をみたのだろう?


後300年生きてみたいな。
今の私がどれほども変化し、そして真理を得れるかもしれない。
とあれ 貧しくても 和 一族でも平和がいい!! 我らには延々と 惻隠と知恵がある。



          竹林 小道   あずまや旧岸邸


          竹林の小道 東屋は緑の木々の中
          静謐で心地よい環境  物を想い練る 人のたたずまい


と、いいぱなしにします。コメント閉じます。
爺どもは軽挙妄動は控えて、溢れるマスコミ操作に溺れす
何が真理か?暇なんだから考える!口は結んで!頭いっぱいにして!
感情で政治を語るものは、一番軽蔑される存在である。
よくよく調べて、いったい自分の役目は何だったのか?と、そして、何を残すか?と。
他人に聞くんじゃない!頭が弱すぎ軟弱もの!
煽られて、他人の言語を お銚子に乗って軽々しく話すな!

そして現役組は 目の前の仕事を精一杯する!現実の中に真理を知るのだ。
若者は、、若者は上等な恋をする。そして佳き家庭を持ち 子供を育てるのだ。
矜持の使い方を知ってる子供を育てるのだ。
国益は勤勉で 誠実な個人が生み出す!


         小田急ロマンスカー 帰路  御殿場駅のロマンスカー富士山号





おまけ
そうだ 満州へいこう



          

         祖先達が 満州国に夢見た理想国家の幻影 


さても  河豚料理を食べると福が来る、、そうありたいものです。(`・ω・´)ゞ
そしてっ間もなく(26日)総理とプーチンさんはモスクワで会議。さて 何を召しあがるのかしら??
6月12日には  韓国の仲介を避けて シンガポールで開催されることになった米朝首脳会談。はたして?
また、15日のニュースから 16日南北高官級会談を無期延期 こうして書いてる間にも 刻々と変化してゆきます。
やはりそうは問屋が卸しそうにない、

私としては 頑張って書いてて、毎日たったこれだけで時間が取られて もの凄く疲れてしまいました。
コメントとじます。
すごく長くて、読んでくださって、本当にありがとうございます。(*- -)(*_ _)ペコリ

まるで大海へ子供の 小石だもの。

静粛に 本当に 大人が 舞い上がらないでほしいと思います。
利口ぶってるお調子者は恥ずかしい存在です。
誰がいいの悪いのは国があってこそなのだ。それを十分知って。
そして国家を支える人々の仕事に感謝して。

見えない仕事をしてる人々は誇り高く。己が理解してればいいのだ。それが矜持というものだ。
腐りもし また 揺れてる日本をしっかり感じましょ。

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目指すは 居候の大先輩、山科言継卿。

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