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熱田神宮 神兵の力

熱田神宮 神兵の力

(前日より)ということで昔に聞いた事がある 
神話の中のスサノオのヤマタノオロチ退治と、古代天皇の皇子ヤマトタケルの東征に由来する
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。草薙剣(くさなぎのつるぎ)をご神体とする熱田神宮を参拝をいたしました。

実は、今はブログをお休みしてる名古屋のももちゃんが年始に熱田さんへ。
ご神体が、三種の神器の草薙剣とお話してくださって、ああ、、と思ったのでした。
神話の中の神剣は、壇ノ浦の藻屑、もしくは、南朝の手にわたって行方不明かと漠然とおもい、
昭和から平成に移るときのあの宮中儀式は?と、、
それで、あいまいを整理してみました。それぐらい日常生活では触らないお話だったのです。

熱田神宮は、むしろ私にとっては織田信長の桶狭間の戦い(永禄3年5月19日西暦1560年6月12日)の時に知ってる名前でした。
明け方に、清州城を、たった5騎で出撃し、2万5千の兵に立ち向かい勝った、、奇襲の勝利のあの戦いの必勝祈願の神宮。
子供で、戦国の英雄戦記はワクワクいたしました。多くの人の命や幸福が虫けらのように失われていく戦い・
やらなければやられる そういう時代。
それを子供は感じることなく人の務めを黙々と戦う 英雄伝説として浸りました。


         安田靫彦「出陣の舞」1970年 山種美術館蔵  「出陣の舞」 安田靫彦 山種美術館所蔵



桶狭間合戦に信長熱田神宮で必勝祈願
梅雨時の尾張、今川軍が刻々と迫る中砦攻撃が開始さえたと知るや、午前3時に敦盛をまい、4時、清州城を小姓5騎で出撃。
熱田神宮に必勝祈願した時に1200とも。増えて、8時ごろの出立に2000とも兵卒が従ってたなどと言う
英雄的な話のほうが印象強く、、。
しかも、それは、また敵の諜報,冠者の目に留まらないように三々五々の夜明けの出陣であって、
前夜までの清州城での籠城か出陣かの評定にも、一言も発せず。「夜が更けたから帰れ」とだけ。
すでに、彼の作戦要綱はすでに決定済みだった。
突然に彼が行動したことではなかった。時が来たので戦略を進めたのでしょう。
緻密な諜報活動があり分析があった。諜報作戦は敵も同じだけしてること。
味方にも、作戦は漏らさない。信長の終始一貫した姿勢ですね。誤解もうけたことでしょう。


私は漠然と なぜ?熱田神宮なのか?名前は知ってても何となく結びつかない。どれほどの意味があるのか??
名古屋文化圏のある方が、「熱田神宮、1200」とあるときにおっしゃったのでびっくり。
歴史のれの字も関係なさそうな人だった。頭の中に入ってる話なのかと、驚きました。
熱田神宮に尾張の人々が終結する、意味がないはずがないのですね。
それは、熱田神宮の草薙神剣、もしくは日本武尊信仰であるか??
代替わりはあっても、熱田神宮がそこにすでに約1500年鎮座し、人々の生活日を見守ってきたからでしょうか?

熱田神宮は、尾張の人の心のよりどころのようでもありますね

            熱田神宮 大楠   弘法大師お手植えの楠  樹齢1000年とか 幹周/7.70m、樹高/20m、

信長のころには、草薙神剣を収めてある神宮を護るために、神兵がいたこと。
三種の神器の一つがここにあったこと。
そして、実際に行って、
広大な森の中に身をおき、千年を超える大木を拝見して、不可侵の力のある場所だったことをおぼえました。

尾張氏より藤原南家が熱田神宮大宮司へ

          熱田神宮 熱田神宮 本殿拝殿

大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていました。
平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家の藤原季範にその職が譲られたのでした。

この時期、熱田大宮司の尾張氏は、土地の所有権・徴税権などで、尾張国衙 ともめたそうです、
それで、尾張員職 (かずもと) の娘・職子と、尾張国目代の藤原季兼 (藤原南家 )が結婚。
その子藤原季範 (1090年生) を、1114年、尾張員職の養子とし、そして、熱田大宮司職を季範に譲ったのでした。


以降は子孫の藤原氏である千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司になりました。
実際の仕事は尾張氏が、藤原氏は京都での活躍が多かったようです。

熱田の藤原千秋氏は、血脈で、都にも人脈、鎌倉幕府にも人脈、足利幕府将軍家にも、、、。名門です。
季範の娘たちは、尾張守・藤原季成の異母姉である待賢門院 (鳥羽天皇の中宮) や、
その娘・上西門院 (後白河の姉) に、女房として仕えました。
また、この時期のは大宮司家男子は後白河院の北面武士となるものが多かったそうです。

頼朝との関係
千秋氏は藤原南家季範の子孫です。、
季範の娘の由良御前、源義朝に嫁して頼朝を生んでいます。
で、、知らなかった、、、
頼朝は、この地で生まれてるのでした。
熱田神宮の隣にある「誓願寺」が当時の熱田大宮司の別邸で源頼朝が誕生の地ですって。..
何だ、、名古屋人だがや~~ww


            『平治物語絵巻』六波羅行幸巻(東京国立博物館蔵)、国宝 平治物語絵巻  六波羅行幸巻 (東京国立博物館蔵)

それで保元物語によると
保元の乱(保元元年、1156年)由良御前の実家熱田大宮司家は源義朝の軍勢に兵を送って援護してるのです。
熱田神宮大宮司の血脈、、藤原氏の血脈は
平治の乱で捕まった頼朝を助けました。
義朋の3男であった、頼朝。当然殺されるところ助けられたのは、清盛の継母池禅尼の口添えでした。
頼朝のお爺さんの大宮司藤原季範の叔母さんが池禅尼でした。
池の禅尼は平氏と言うより、藤原氏の人。宗子。藤原宗兼の娘です。
もう少し脱線すると 
頼朝を助ける10年ほど前に清盛の対抗馬のような最初の男の子、家盛を急病でなくしてる。
その子に似ていると言う頼朝、、なるほど血脈のなせる業、、
そして彼女のもう一人の息子平頼盛は、平清盛の異母弟でありながら、清盛の男兄弟の中で壇ノ浦の戦い後も唯一生き残りました。
頼朝は、母方の藤原氏、、同族間の貸し借り、きっちりつけたようです。

由良御前の産んだ頼朝の同母妹、坊門姫(一条能保室)の血脈は鎌倉幕府将軍藤原頼経・頼嗣に。
そして、後嵯峨・亀山両天皇に受けつながれてます。
また、藤原季範の孫娘が足利義康に嫁ぎ、足利将軍家にも血脈を残してます。
名門であり、また各幕府とも血脈でつながっていますね。


熱田神宮の神兵
桶狭間の戦いでは
熱田神宮の神兵も含めて、尾張軍は戦いました、
熱田神宮の大宮司・千秋季忠も参戦しました。そうです藤原季範の末裔。
彼の父も熱田神宮の大宮司そして、織田家につかえてました。羽豆崎城主です。
彼は信長が3000の兵で善照寺砦に到着したのを確かめて、
義元本隊に攻撃を仕掛け討ち死にします。
あたかも信長がそこにいるかのように。
その時,、胎児だった千秋季信はのちに所領の安堵と 熱田神宮の大宮司職を得ます。

           熱田神宮 神紋    熱田神宮神紋

           
戦いの目的は、明確で、籠城でも、応戦でもなく、必勝。今川義元の首一つ。
それには、今川2万5千と 織田4千では太刀打ちできません
今川軍の兵力をを分断させます。そして、自軍が勝てる兵力に削ぎます。
今川軍をおびき寄せて、今川軍の兵力の分断をします。
信長は兵学では基礎とされる諜報が巧みだったようですね。


田楽狭間が、奇襲の場所だった説は、明治政府陸軍の採用説。窪地に山の上から奇襲という作戦。いわゆる、迂回攻撃説。
どうやら、その場所はいわゆる田楽狭間、愛知県豊明市栄町南舘らしく、桶狭間はそこから1キロ半西方にある町だそうです。
「桶狭間村・田楽狭間の戦い」
丁寧に探るとなかなか、、
そして、窪地に義元が休憩地を置いたというのは、現在では違うと言われてます。

義元は桶狭間村の山の上にいたそうです。(信長公記より)
尾張軍は坂を上り正面攻撃したというのです。正面攻撃説です。今はこちらが有力のようです。
それがなぜ可能だったか?

2万5千の今川本隊が沓掛城を出発する。後方の守りに1万残します
大高城へ兵糧を運ぶ部隊は移動し、、それは、大高城に対峙する2つの出城と戦い落としました。そこに一万、
義元の周りには5千。ちょうど中間地の桶狭間のあたり

信長は、諜報力により兵力を読みます。信長4000の兵のうち午前10時、善照寺砦に3000です。
まだ兵力は今川が多いです。

大高城の前に300の兵を出し、今川軍をおびき寄せます。
義元本隊5000の兵をまだ削いだのです。

           信長家紋  五つ木瓜 信長家紋(ほかに6つある)

そして善照寺砦には、500~1000をのこし旗指物を掲げさせます。
あたかもそこに布陣してるように見せます。義元の山からは良く見えたでしょう。
2つの砦を落とし、その後の白兵戦で300とも500とも兵の戦果。気をよくし安心して義元は休憩です。
信長は義元がいる山により近い中島砦に、低い場所で見えやすい危ない状況のなか、約2000の軍を移動させます。
旗、のぼりは目くらましです。人はそこだけを見はるものです。

そこで、梅雨時の雨が降ります。豪雨です、視界がないぐらいだったそうです。雹だったともいわれてます。
今川軍は休憩で、ぬれなうように林へ、、
そして場所は狭く、土砂降り、5000以上の兵が戦うと混乱しますね。目的が応戦であるより、死に物狂いの一つ首。
普通は上から下へ攻撃は簡単です。山を登りあがっての戦いは困難ですが、敵も逃げれません。
勝敗は決します。午後2時ごろ鬨の声が上がります。東海の雄 今川義元が散りました。
もちろん多くの今川の将がなくなります。多くの今川兵が沓掛城へと敗走しました。

そして、熱田の街には、火をかけようとした今川の水軍がありました。熱田の街の人によって反撃されて海路敗走してます。

熱田神宮で必勝祈願
信長は熱田神宮では、東方に二条の煙が立ち上るのを見て鷲津・丸根の両砦が陥落した事を知ったらしいです。
御神前で跪いて 兵の前で願文を読み上げ戦勝を祈願しました。
この戦いは多勢に無勢、苦しい戦いとなる。熱田大神の力を借りて、是非勝利したい。

すると、の白鷺が飛び立ったそうです、
「これぞ、熱田の大神が我々を護り、勝利に導くしるしである!」と兵を鼓舞したそうです。
日本武尊が葬られたあと、白鳥になって倭を目指して飛んだ故事ですね。
尾張の兵はどれほど心強かったことでしょう。

         榊原紫峰「白鷺図」足立美術館蔵  白鷺図 榊原紫峰  足立美術館蔵


日本武尊は東征の将軍。
頼朝は将軍となり、幕府を開いて2年。1194年 建久5年に奉幣してます。その後も剣をたびたび奉納してます。
また足利尊氏は1335年(建武2年)剣を奉納(上洛途上参詣)です。
このあと後醍醐天皇に征東将軍を、その後 南朝軍との戦いもあり、
延元3年/暦応元年(1338年)、光明天皇から征夷大将軍に任命されて、幕府を開きます。

信長は多くの死を飲み込んだ戦場から 清州への凱旋に再び 熱田神宮へ戦勝のお礼の参拝をします。
神馬1頭を奉納し、 その後、築地塀を寄進してます。
信長塀と言われえる土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、日本三大塀の一つです。
あと二つは、三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀。今も残ってます。

若統領の名を知らしめるデビュー戦は国守りからでした。
彼はこの後の美濃平定後、天下布武の印を使います。
鎌倉幕府の、足利幕府の、、そのあとの、彼の夢見た世界は、、。

熱田神宮は草薙神刀がご神体。
草薙剣は悪しきものを滅ぼし、正しきものを守る霊剣であり、正しく国を治めることの武 勇の象徴
宮中の新年の四方拝で遥拝される一社。


           熱田神宮 勝守  熱田神宮  勝守 千載一遇を納得の結果にするのは己 

私は、拝礼で、日本が今平和であることの感謝をし、末永くそうであってほしいと思いました。
それは自分がそうありますという誓いなのかもしれません。
そして、勝守をいただいてまいりました。くじけない魂のためかもしれません。
勝ち負け、利益より、納得し、生きてる満足があるように。
千年を超える大楠など、大木に囲まれてすがすがしい気持ちでした。
千年人の世の悲喜こもごもを眺めて、そして今、生命力を溢れさせて与えてくれる大楠に感動しました。

戦いにあって、偶然の幸運はあるだろうか?
どの武将も一見は幸運に恵まれたようなことはあるでしょうが、
それもまた、熱心な諜報、そしてそれを組み立てる能力、
漏らさない堅固、判断力と行動が伴わない者はいないと思います。

ビジネス戦略も、家庭守りも、、生き様もそうだと思います。尽くしぬいて、そこにチャンスが開けるのかもしれませんね、
多くの平和と幸せを願って戦ってきた、また現在も戦ってるそういう魂を思い出した時間でした。


あまりよくまとまらず、、長くなってしまって、ごめんなさい。読んでくださった方に心から感謝いたします。

     えんま B面   enma's Room 今宵もえんまコンサート よろしかったらいかが? かっこいいでしょ。

22日 0km
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コメント

[C16333]

熱田神宮はかなり広そうなところですね。
そういえば、初詣の来場者数ではつねに
上位に入るところでした。
昔は尾張の人の心のよりどころであったのが、
今でも受け継がれているからなのかもしれませんね。

[C16334]

おはようございます

大変勉強になりました。
でも良くご存知なんですね。
感心しきりです。
  • 2016-09-23 05:07
  • 素流人(ソルト)
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[C16335] yujiさん

昨日はこれだけで何もできなかった爆睡・
まだ機能の分のご訪問終わってないの。
読んでくださってありがとう!

6万坪あるそうです。
次は、RUNNINGシューズでまいります。
  • 2016-09-23 06:50
  • hippopon
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[C16336] ソルトさん

江戸幕府は戦争のない国造りでした。
明治からは戦争の歴史。
藤原氏の専横の歴史も垣間見ますね。
おでん、、おいしそ、、
東京は急に涼しいです。
  • 2016-09-23 06:53
  • hippopon
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[C16338]

おはようございます。

熱田神宮は、お正月にしか行った事がなくて(; ^ω^)
こんなに空いている所は、見た事がありません
hippoponさん
色々 反対に教えてもろたね・・かたじけない。
疲れて寝込まないでねヾ(*´∀`*)ノ

  • 2016-09-23 07:25
  • るん
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[C16339] るん!!!ちゃま、、

おはぁ~~。(;'∀') ちょっと元気を(;´Д`)無理してる

世に出ようとするもの、
勝ち目にない戦さしようとするとき、、
失恋まぎわ、、、
ききめありそ、、でしょ。

舞楽もすごくよくて、
勝ち守りね
陰陽五行説の5色の紐は。手に付けるわけにいかないので、
来年度の相場ノートの花切れにしようかと思って、
勝てそうでしょ。

頼朝が名古屋人とはびっくり、、
歴史を見る視点がかわりましたよ。

すがきやと、菊最中、残念。1度行けたらまたいけそ、、。

  • 2016-09-23 07:42
  • hippopon
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[C16342]

hippopon さん

こんばんは
歴史の造詣の深さに感心しました
勉強になります、
弘法大師お手植えの楠、神々しい迫力ある木だな。
  • 2016-09-23 18:21
  • しろ
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[C16343] しろさん

熱田神宮は 藤原南家を介して 武家の棟梁と繋がっていたのですね。
文章に書いて、整理してみたら
名古屋城はどうしてその場所にたったのか?
そこでなければならなかったのか?

物事って視点を変えると全く違う風景になると思いました。
昨日の今頃は何度読み返してもつながらなくて
時間もないし、気力もつながらないし、、
今日は名古屋飯の事で、よく眠りました。
体がほっとしてます。
  • 2016-09-23 19:17
  • hippopon
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[C16344] こんばんは(^-^)

桶狭間の戦い、信長のエピソードでも特にワクワクしたものでした(・∀・)
そんな信長が必勝祈願した場所に草薙剣、そして戦に勝利。
因縁めいたものを感じますね。

勝守、きっとご利益があるはず( `ー´)ノ
次回はお礼参りかな~

※今日は久しぶりに10,000歩達成!
体重も減ってました(・∀・)
やっぱり動いただけ減るようでした(=_=)

[C16345] coconut punchさん

こんばんは
結構熱田神宮は書けなかった。
兵力も、研究によっては当時の駿河の国力ではむりとか、、
食べてる量が違うことに着目してなかったり、
数字の理解がまちがってたりね。

一般的な感じで進んでも、裏付けしないとならないし、
なかなか進まないし、
終わったら、果てしない疑問が、、どんどんわいてきて、
この物語の続き、、、これで生きてゆけるぐらい。

今日はご訪問やっと済ませて、昼間にお風呂も。
エンドレスで、すっかり ばばっちい私になってしまってて、
お昼寝、、爆睡。
内臓にぶつぶつできてるんじゃないかと思うぐらいだるかったのも少しいいです。

夕飯の用意しなくちゃ、ww

そうね、、お礼参り行けたらいいな。
どうしてもある人にご利益がありますようにだったのですが、
効き目あったかしら??

  • 2016-09-23 20:47
  • hippopon
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[C16346]

熱田神宮に行かれたのですね。
いつまでも平和であってほしいです。
  • 2016-09-23 20:49
  • ジュリアルーシュ
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[C16347]

こんばんは。
hipoちゃん
元気になったみたいで良かったです(*^^)v

[C16348] ジュリアルーシュさん

この世の栄枯盛衰を眺めてきた場所はいろいろあるけど
影響を与えてきたんだな~と。
大楠には蛇も住んでて、のんびりしてましたよ。
  • 2016-09-23 21:56
  • hippopon
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[C16349] ひろりん°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°✨

落城の兆しが見えて、
いい年の大人がちゃんとできないんですものね。

ストレスたまると思いますが、
次を見つけるのが先手必勝のようですね。
馬鹿に仕切ってるから、手綱はとれないし、、

ささ、たべて。たべて、、ww


結構だるくて、もう一度お風呂入って深く眠ったらもどるかも。
常に朦朧だった。
  • 2016-09-23 22:04
  • hippopon
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[C16350] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C16351] 16350さん

眠くて、、
さっき起きたばかりなのに、、ねむいです。

チャンスを活かしていける人は
細かい積み重ねでも大成するそうです。
  • 2016-09-23 23:03
  • hippopon
  • URL
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[C16352] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C16362] 16352さん

ほんと、、心からありがとうございます、
ミステリーに出くわして、、
世が乱れるときに 彗星のごとく現れる治世者達。

河村なんたらは 
いまヨシモトで、おしもが かなり緩い女性が秘書だったばっかりに、
スキャンダル議員になっちゃって、彼ではないけどイメーシはねぇ。
しっかり
慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会
永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会
やったり、
維新とは混じりたくない姿勢。かなりはっきりしてる
名古屋の足元の市政ばっちり固めるようすで、
名古屋は税金が安い。

これで、貧乏城が、木造でできたら、世界中から人が来るんでしょうけど、
目の前の事ばかりの議会に阻まれてるらしい。
あんたら、一度決まったことずなかったの~~。
子孫が笑われるだがよ~~といいたけど、、
全国的評価では、
ケチでも使うところには使うところには、酢しっかり使うという民度、がんばれ!
木造であればこそ、特別な意義ができるのに、
もうちょ~みゃぁみゃ、~~~ww60越えたのね。
元気で頑張ってほしいですね。

名古屋には海部俊樹総理がいましたね。
リクルート後の清廉な空気。常にクリーンなイメージ、
1990年には秋篠宮文仁親王結婚の儀、今上天皇即位の礼・大嘗祭。
係累は小林誠先生とも、豊田ともつながって、85歳。
総理のほうが、、好みかもww

で、名古屋城!よみがえれ!!

  • 2016-09-24 06:10
  • hippopon
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