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偉大なる冒険へ

偉大なる冒険へ金銭的な貧乏と、心の豊かさとは、時として反比例する?ブログを見てると、きちんと生きてる人ほど謙遜で、しかも、節約を楽しんでる。あえていくらと決めてゲームの様に軽やかに楽しみ暮らしてる。何億も稼いでも疑心暗鬼の牢屋に居る人もいれば、もっともっとと虚栄心で、夜叉のような言動を平然としてる人もいる。    小倉田舎庵 鰻重武奈伎貯金の話をしたら、家主が、大笑い。そんなに食べたいならつれてゆ...

武奈伎 むなぎ

29日は土用の丑の日で、美味しい鰻をいただいた方も多かったかと思います。鰻の旬は秋から冬にかけてで、江戸の鰻やさんが困ってコピーを平賀源内さんに頼んだところ、「本日土用丑の日」という広告キャッチコピーが大うけしたと言います。彼、エレキテルなどが有名ですが、讃岐の出身で、本草学者でもありました。    平賀源内 多彩             (本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠...

涼しい休日

行事の後昨日までは、35度を超えて、異常な暑さでしたが朝はは26度ぐらいだった模様、涼しくて、空には、ダリがリディアと創造力を鍛えた様な¿雲が浮かんでました。何だか今日はすごしやすそうな、、   夏、早朝の空昔は30度越える日なんかあまりなかったのに、、30度越えると暑いな~~とかんじました。ところが、あんまり暑かったせいなのか、、今日は涼しく感じます。順応力にびっくりです。窓を開けて、風を取り入れて、茶...

懐紙

懐紙 茶の湯では、数十枚重ねた小さめの和紙を、懐中して、お菓子をとったり、茶碗や器を清めるのに使います。男女で、使う大きさ(紙の大き さ)が違います。懐紙は平安貴族が和歌を書き、覚書を認め、また手拭、ちり紙、便箋などの用途として使いました。紙は貴重なものでした。今の様に安価で豊富ではありませんでした。紙は大事なものでした。江戸時代の古文書などでも、反故紙に何度も書かれてるものなどでてきますし、、そ...

花火大会発祥の隅田の花火大会

隅田川花火大会 二万発の花火1733年(享保18年)に始まった「両国川開き花火大会」を継承する、伝統、 格式共に関東随一の花火大会。桜橋と厩橋で打ち上げられる花火大会。隅田川には屋形船なども出て、にぎやかだそうです。打ち上げ花火を江戸市中で行う事を禁止しました。それで川辺の隅田川で人々が楽しみました。花火を買って、船べりでする、また、花火を打ち下させるなどの遊興だったそうです。大名家でも豪勢な花火舟を出し...

扇子

扇子暑い日がつづきますね。エアコンが無かった時、水辺や、木陰や そして、、風が涼を寄せました。エジプトの昔にも扇は逢って、ファラオや王族だけが使える権威の象徴だったそうです。日本でも宮中のは檜扇等はそういった位置にありますね。最初は木簡を閉じるためのものだったらしいです。煽ぐためでなく、お顔を隠すためのものだったようです。檜扇は絵が施されてないものをある方がお持ちになっていて、拝見したことがありま...

第1863回「あなたの熱中症対策 梅干し仕上げ

梅干し 3日目です。熱中症対策に 梅干しを持ち歩くようにします。土用干し3日目です。雷雨にもならずに3日、夜露にもあてて、過ごせました。凄くしょっぱく、ちょっと粗塩の選定がまずかったのかもしれません。来年はもっと塩を抜いて、リカーにくぐらせた梅を使おうかと思ってます。    3日目の梅干し 小さくなりました!胡瓜は4本目  梅酢は天日干し採れた梅干しが、あまりにしょっぱいので熱中症の予防薬として、持ち...

香炉峰の雪  身を扶く

香炉峰の雪 白氏文集遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、 香炉峰の雪は簾をかかげてこれを看る 遺愛寺の鐘の音は臥したまま枕を斜めに 立てて聴き入り、 香炉峰(山)に積もっている雪は簾を巻き上げて眺めている。中唐の詩人、白居易の「白氏文集」の下りです。 白居易             平安時代貴族にとっては、漢詩は教養の一つでありました。中宮定子のお側近く仕えた清少納言は、漢詩の才能で、重用されたと言います...

土用の梅干し

土用の梅干し 初日です。6月30日に梅干しをつけた記事をあげました。経過報告は、二重袋のジップロックでしたが、梅酢がもれて、一度は体制を取り直しました。厚い方のビニール袋を使うので、もれても段ボール箱には浸みだしてませんでした。腰痛で、漬けれずに、2キロだけの梅干しでした。お天気が続きそうなので今日から干します。       台の上に簀の子 汁受けの紙 簾先ずは、簀の子をしいて、デパートの紙袋を割いて、...

毒を制す技術 河豚の卵巣の糠漬け 土用河豚

河豚の卵巣の糠漬け近頃は養殖技術が進み、街には泳ぐ河豚の水槽もある河豚屋さんが出来てますね。河豚は、福に繋がるので、縁起よく、含んだ時の香りと味わいが好まれてまいりました。猛毒魚で美味しい。秀吉の頃は、朝鮮出兵の時に河豚中毒で死ぬ兵士が多く。河豚を食べることを禁じてます。江戸時代には、武士とあろうものが、河豚で命を落とすなことがあったら、家名断絶などの厳しい処分を受けたようですが、それを乗り越えて...

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Author:hippopon
目指すは 居候の大先輩、山科言継卿。

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